すすめアナンダ

肉と肴と酒と。あ、キャベツに味噌マヨも捨てがたい。

バレンタインデー

おばんです、アナンダです。今日も甘いものには目をくれず、酒を片手に夜更かし中です。酒が飲めない体質だったらどんなことに楽しみを探していたのか、ということをふと考えてしまいました。辛党の対局としてよく言われる甘党になっていたかもしれませんし、女人に溺れるほど傾倒していたかもしれないですし、酒を飲まないことにより案外分別の付くまともな大人になれていたかも知れないという可能性も考えられます。

その方が世間様には役立てたかも知れませんね(笑)。お酒を飲みすぎて周囲に迷惑を掛けたことは数知れず、思い出しても恥ずかしい状況ばかりです。よく友達辞めなかったな、アイツ。未だに続いている交友関係に感謝するばかりです。

そんなことを考えていると今年もバレンタインデーが過ぎ去っていきました。今年も職場の女性陣から毎年恒例のチョコを戴きました。毎日業務で多々サポートしてもらってばかりいるのに、こんなイベントでまで貰い物をするのは悪い気がします。貰えば嬉しいのは勿論なのですが、付き合いとか義務感になっていないか心配なのが正直なところです。

かの老舗チョコブランドのゴディバは今年一風変わった広告をバレンタイン前に打っていました。何行もの文章の広告だったのですが、要約すると『義理チョコを重荷に感じていませんか。義理チョコに頭悩ますのはやめて、本当に大切な相手に気持ちを伝えることを楽しんでほしい。』というような内容のものでした。

贈り物は人間関係を円滑にするために昔からある習慣であると思います。しかしながら、それは相手を思いやるから自然と差し出す気持ちの表れ。そこに義務感が伴うようでは辛く感じるでしょうし、好きでもない相手ならば苦痛に違いありません。今の商業イベント化された日本のバレンタインデーは世界的に見ても不思議なものです。キリスト教を信じるわけでもないのに、バレンタインデーを口実に愛を伝える。その愛もアガペーではなくエロスを中心として捉えられる。不思議なものです。

まぁ、仏教徒が多い日本でもクリスマスが国民的イベントになっている現状を考えれば、日本人の持つ物事の由来や真意を深く考えない鈍感で前向きな姿勢はある意味平和なもので害は少なそうです。宗教に殉じるような生き方よりは遥かに健全だと言えるでしょう。

宗教は人を不幸にするためのものではありません。現在の境遇が恵まれないような人々の心の拠り所であり、人間らしい尊厳を持ち生きること、自分独りの力で生きているのではなく周りからの縁によって生かされていることを認識する先人の尊い教えです。

こんな宗教的側面を省みず、イベントとしての行動のみが先行してしまうようでは何だか寂しい気がします。

今日の文章は何だかキャラに合いませんが、時にはボンヤリこんなことも考えていたりするので書いてみました。面倒くさいヤツですが、最後まで読んで下さりありがとうございます。ぼちぼち酒をグイッとやって寝ます。おやすみなさい。