すすめアナンダ

肉と肴と酒と。あ、キャベツに味噌マヨも捨てがたい。

考える夜

おばんです、アナンダです。今夜も寒い。明日も寒い。しかも雨予報。早く気温上がってほしいです。穏やかな日差しの下のお花見が今から恋しいです。楽しく昼からお酒を飲みたいです。

さて、今年もそろそろ東日本大震災の記憶を喚起する特番や報道が目につく季節となりましたね。震災以後、毎年三月に入ると自身も妙にソワソワしてしまいます。東北地方に住まう者として、あの日は非常に大きな出来事として今後の人生においても大きな教訓を植え付けてくれた災害です。自分の近い親族に犠牲者は出なかったのが不幸中の幸いでしたが、周囲には家族を亡くしたり家が被災した人がたくさんいました。自宅も全壊とはなりませんでしたが、屋根瓦が多数落ちたり窓がほとんど割れて壁に亀裂や歪みが生じた半壊状態となりました。

かろうじて避難所暮らしとはなりませんでしたが、そこからの二ヶ月間は食べ物の供給も不安定で電気水道が復旧したのは一ヶ月以上後のことでした。水は田舎なので近くの沢で汲んで沸かして煮炊き洗濯に使い、風呂は復旧の早かった知人宅を借りたり、薪石油併用ボイラーだったので直して使いました。水汲みを始めてしばらくすると沢水にヒ素が混じっているという検査結果が明らかになり、誰もその沢から水を汲まなくなりました。しかしながら当時はその沢の澄んだ水によって命を長らえたのは事実です。

自分はその当時から今の会社に在籍し、その業務は災害に深く関わるため震災翌日から多忙の域を遥かに超えた日々が始まりました。朝から晩まで会社で外出先でクタクタになるまで働きました。働くというよりも、せざるを得ないという方が相応しい状況です。あの時の記憶はとても鮮明で、今後の人生であんな思いはもうしたくないと今でも思っています。孫曾孫の世代まで今後このような災害が起きないことを切に願います。天災は否応なしに降りかかりますし、予防を考えても効果的に対応できるとは限りません。想定以上の最悪の状況にいかに慌てず対処出来るか、それが生き延びるか否かの分かれ目だと日々考えています。

震災当時は自分は独身で自分の安全だけを考えて行動していましたが、今は新しく家族が出来て不測の事態が起きたときには真っ先に子供の顔が頭に浮かびます。嫁子供を授かって、当時の遺族の気持ちを今になって痛切に感じている自分もいます。大切な家族を失うことのないよう、自身の生活環境や地域の状況をよく理解し、大規模災害の中でも誰一人家族が欠けないよう最善を尽くすべく震災の教訓を自身だけでなく次の世代にも伝えていきたいです。

記憶の風化を叫ばれつつもありますが、自分にとって3.11はあまりに重い記憶です。後世の安穏の為にも、震災に限らずきちんと自分の子供にあらゆる災害教育を施していきたいと思う夜でした。

3.11、皆さまも当時の記憶に想い巡らせてみて頂ければ後学の助となるのではと思います。そろそろ眠たくなってきたので落ちます。おやすみなさい。

 


東日本大震災 岩手県大船渡市マイヤ本店 立体駐車場にて