すすめアナンダ

肉と肴と酒と。あ、キャベツに味噌マヨも捨てがたい。

Blues


Johnny Winter - Mississippi Blues

おばんです、アナンダです。今日も酒浸しの登場です。

先日の休みに家で2歳半の娘と遊んでいて、オモチャのピアノと楽譜がセットになっているヤツで自動演奏しながら自分はエレキギターでメロディを弾き娘は天真爛漫に唄って楽しくセッションをしておりました。そのうちにメロディは娘の歌声に任せて自分はテキトーにペンタトニックスケールを織り交ぜたりパワーコードでベースを強調したりして遊んでおりました。

そのうちに娘は飽きてきて自分だけが段々熱くなってきて、パソコンでyoutubeを見ながらアレコレ弾いておりました。ブルースのリフの教則的な動画や基本進行のレクチャーを見ているうちに何だか懐かしくなり、様々なブルースマンを眺めていました。

その中でも特に目を引かれたのがジョニ・ウィンターでした。学生時代の先輩がこのアーティストが好きで、一緒にコピーをしたりあれこれ議論を交わした記憶がよみがえりました。ブルースといえばB・B ・キングやバディ・ガイチャック・ベリーロバート・ジョンソンなど有名どころを挙げればキリがありませんが、白人ブルースマンという異色ぶりも当時の自分と先輩の間で興味が共通した要素でありました。

そんなジョニ・ウィンターも数年前に他界してしまい、今後新たな楽曲やプレイを見ることは叶いません。栄華盛衰、無常をこんなところにも感じてしまうのでした。

仏教ではこの世に生れ出た時から向かっていくところは決まっており、生老病死が辿る道の全てといわれております。生まれたならばいつかはこの身は滅ぶと分かっていながら人は生に執着し、限りある時間を可能な限り延ばすべくもがいているのです。

死ぬということはただ肉体が滅ぶことではなく、人々の記憶から当人の存在が消えていくこと、当人を思い出してくれる人がいなくなることだと聞いたことがあります。

それを思うとジョニ・ウィンターが寿命を迎えて肉体が滅んでも、遺した楽曲や足跡は彼をまだまだ生かし続けることでしょう。懐かしさと今なお変わらないカッコよさとで胸を打ってくれる彼に感謝しつつ、今日は落ちます。

それではまた次回。おやすみなさい。